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一部の人からラジオくんと呼ばれています。

【写真大量・猫多め】いまごろなぜか2002年のギリシャ旅行記

藤村シシンさんの本読んで、そうそう自分もギリシャ行ったわーと思ってデータ掘ってたら出てきました昔の写真。

タイムスタンプ見たら2002年2月。たいがい古いですね。

当時ブログサービスらしいものはそこまで無く、基本的に個人の記録として撮ったものなんで我ながら写真ヘッタクソですが。

ちなみに旅行に持ってったデジカメはコレです。

KODAK DC3800 Digital Camera

 

210万画素の高画質!

当時は普通に使えるヤツでした。

画質もそれなりなことはご了承いただければ。

こいつをお供に、降り立った地はもちろんアテネ(実は同行した友人の希望でギリシャの前にフランスに行ってますがそこは割愛)。

当時のアテネは、2004年のオリンピック開催を控え活気づいている印象でした。東京も頑張れ!

さて。

まずは何と言ってもここに行かなければ。

世界遺産パルテノン神殿です。ばーん。

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これは前門(プロピュライア)。まずここを抜けてからパルテノン神殿などが建つゾーンへ行くわけですが、まずここでテンション上がるよね。柱が星矢だってなるよね。ドーリア式だっけな。

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パルテノン神殿と同じくアクロポリスに建つ、エレクティオン神殿。

少女の像が柱に使われているのが特徴的。

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エレクティオンには公式サイトがあり、ここではかつての姿(想像図?)を見ることができます。古代ギリシャの神殿が極彩色に彩られていた、というのがよくわかります。少女像もカラフル。

http://www.erechtheion.org/

 

同じくアクロポリスのヘロディス・アッティコス音楽堂。ここでコンサートとか聴いたら最高でしょうね。

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アクロポリスからの風景。

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アテネの街から見上げたアクロポリス。音楽堂とパルテノン神殿が見えます。

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アテネ市内はそこらじゅうに遺跡があります。これはハドリアヌスの門。

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アテネ中心部にあるシンタグマ広場。「シンタグマ」とは憲法の意。ギリシャ王国の憲法がここで発布されたそうです。古代ギリシャにかぶれた法学部生だった自分はこの広場で横になって小難しい本を読む、というのをこの旅の目的のひとつにしていました。いま思うとかなり中二臭い。

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この広場に面して国会議事堂があるのですが、ここでは定期的に「衛兵の交替式」が行われます。運よく見ることができました。民族衣装的な装束の兵隊さんたちが行進してきます。

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これが国会議事堂。壁面には「無名戦士の墓」があり、ここで衛兵の交替が行われます。建物がいちいちカッコいいですね。

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そのカッコいい建築物の中でも、これには特に惚れ惚れしました。ギリシャ学術院だそうですが、左にアテナ像、右にアポロン像。カッコいい。ずっと見ていたい。

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アテネ市内だけでも時間がいくらあっても足りませんが、どうしても行きたかった場所のひとつが「スニオン岬」。星矢だと双子座のカノンが幽閉されていてポセイドンとつながっていく、あのストーリーの舞台になった場所。

実際のスニオン岬に行くにはアテネから日帰りツアーを利用します。

ここからエーゲ海に沈む夕日はヨーロッパで最も美しいと言われていますので、その夕日も見たいのだけど、それよりも目的はこれ。ポセイドン神殿!

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お天気も最高。スニオン岬、エーゲ海ポセイドン神殿。いいです。最高です。

ポセイドン神殿を眺めながらコーヒーが飲めるカフェがあります。

グリースコーヒーはコーヒーの粉をフィルターで濾さずに注ぐのでうまく飲まないとちょっと粉っぽいのですが、そういうのも含めていいですね。最高です。

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ポセイドン神殿の間近まで行くことができます。

少し日が傾いてくると、やや茜色に染まり始めるポセイドン神殿。最高です。

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美しい。

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逆光で見るシルエットもカッコいいのです。

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まさに海神ポセイドンにふさわしい佇まいでした。

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ほんとはエーゲ海の島々もめぐってみたかったのですが、他にも行きたいところがあったのでポロス、イドラ、エギナ3島だけのプチクルーズに参加しました。

 

いかにも(現代)ギリシャな風景。

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島ではHONDAのバイクが。

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エーゲ海の夕日は、息を飲む美しさです。いまだったらもっといいカメラ持って行きたい。

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再びアテネ市内観光。

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これも訪れないわけにはいかない場所。古代アゴラ。

民主主義発祥の地とも言われています。丘の上に見えるのはヘファイストス神殿。

2000年代であることを忘れさせてくれる風景です。

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ヘファイストス神殿。ヘファイストスは雷や火山、そして鍛冶の神様です。損傷の激しいパルテノン神殿と比べて比較的形状を保っていて、むしろ雰囲気があるように感じられました。

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この角度からが美しい。最高です。

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これが紀元前の風景だと言われても納得のいく眺め。

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同じく古代アゴラにある、アッタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)。

復元ですが、実に美しい建築物です。

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古代ギリシャの人々も、このような景色を見ていたに違いありません。

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外側の柱はドーリア式、内側の柱はイオニア式です。

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かなり長時間滞在してしまいました。あまりせわしない旅は向かない土地です。

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宿泊していたホテルからのアテネ市街。

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さて、食事だとかお土産買うとか、そういう観光客的なことをしようと思うとおすすめされるのがプラカという地区。土産物店がたくさんありますし、地元の方もたくさん。

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フリーマーケット的な何かが行われていました。

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 もうひとつ行ってみたかった場所。それが世界遺産にも登録されているメテオラ。

アテネから丸一日かけて列車で移動し、カランバカという村で一泊して翌日ようやくたどりつきました。

ここはギリシャ正教の聖地で、自然の風化作用でできたといわれている奇岩の上に修道院がたくさん建っています。

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基本的に生活物資は写真のようなケーブルで運ばれています。

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このような場所で修行を重ねることで、見えるものがあるのでしょうか。

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実際に中を見ることができる修道院もあります。中は撮影禁止だったので、途中の写真を。こんなところを通っていきます。

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遠くから見ても、やはり不思議な光景です。古代ギリシャの神々とは異なる、神聖な何かを感じました。

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村のほうから見上げたメテオラの修道院群。

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【番外編・ギリシャの猫】

というような旅だったのですが、写真のストックを見たらかなり猫の写真がたくさんありました。ギリシャでも猫はみんなマイペース。

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遺跡のそばでものんびり。

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エーゲ海の島でものんびり。

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何かを狙ってます。

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近づいても逃げないので、観光客にも慣れてるんでしょう。

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ギリシャの猫も高いところ好き。

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プラカ地区には犬がいました。みんな寝てたけど。

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ということで、写真が発掘されたのでいまさらながら2002年の旅行記でした。

また行きたいなあ。

 

古代ギリシャのリアル

古代ギリシャのリアル

 

 

 

 

 

 

 

旧宮之城線・薩摩山崎駅&船木駅跡を訪ねてみた。

あまり普段は通らない道を車で走ってたら、こんな表示板が目に入りまして。
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国鉄・宮之城線の薩摩山崎駅跡でした。

宮之城線 - Wikipedia

 

旧宮之城線は個人的にちょこっと追いかけてまして、先日も薩摩大口駅跡に行ってきたところ。

旧宮之城線・薩摩大口駅跡を訪ねてみた。 - ローカルメディアマンの日常。

 

薩摩山崎駅跡は意外と来たことがなかったので、Uターンしてみることに。

だんだんスタンプラリーみたいになってきたぞ。


場所はこのへん。

 

これまで見た駅跡の中でも、かなりキレイな公園として整備されています。

目の前にバス停もあるので、東屋的な施設も。


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この表示板には、宮之城線と薩摩山崎駅の歴史がまとめられていました。
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寄ってみると、かつての駅の写真が。いいですねえ。
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自分もこういう「さよなら宮之城線」みたいな企画に呼ばれた園児でした。遠い昔。
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現在はバスが走っているのですが、バス停なのに停留所名は「山崎駅」。
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で、せっかくなので隣駅くらいまで行ってみようと思い、船木駅跡を目指してみます。
Wikipediaの緯度経度によると、船木駅があったと思われる場所はこのへん。
 
 
 
なんにも・・・無いです。
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すぐ近くで作業をされている方にごあいさつして、「宮之城線の船木駅ってこの近くですか?」と尋ねてみると、ちょうどこのあたり、とのこと。
少し前まで官舎か何かあったらしいのですが、現在は何も痕跡らしいものは残っていないそうです。ちょっと残念。
 
よく目を凝らすと、かつての駅の姿が・・・見えません、やっぱり。
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船木駅の隣駅は宮之城線の名称にもなっている宮之城駅。もしかすると隣の大きな駅の影に隠れてあまり目立たない存在だったのかもしれません。宮之城駅跡は現在もバスターミナルや物産館としてたくさんの方が利用される施設になっています。
こちらの施設には宮之城線の資料展示もたくさんあるので、自分と同じように宮之城線駅跡めぐりをされる方はまずここから行くのがオススメ。
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大口を除き宮之城駅以北をまだ攻められてないので、ぼちぼち行ってみようと思います。
 

藤村シシン「古代ギリシャのリアル」はマジでリアル。

もともとはコチラの記事で知ったのですが。

withnews.jp

この藤村シシンさんという方、とても面白い。

きっかけは「聖闘士星矢」。

 

恥ずかしながら自分も聖闘士星矢(原作版)を読み、ギリシャ神話に興味をもってカブれてゆき、大学4年の時に卒業旅行と称してギリシャまで行ってしまった経緯があるので大変共感して読みました。ほんとデスマスクのせいで蟹座は・・・

 

で、著書のこちらを読んでみたわけですが。

 

古代ギリシャのリアル

古代ギリシャのリアル

 

 とてもよかったです。装丁にしても書きぶりにしてもかなりポップでカジュアルながらタイトル通り古代ギリシャのリアルな姿がありありと伝わってくる本。

ちらっとでもご存知の方ならお分かりのとおり、ギリシャの神々はすぐ様々な交わり方をするのでところどころ18禁です。紳士淑女のみなさんは心して読むように!

 

細部は本を読んで欲しいのですが、以下雑感。

 

日本人と古代ギリシャ人の共通点みたいな話が出てきます。

恋愛をしてみたりいたずらをしてみたり、とても人間臭い神々がギリシャ神話の特徴ですが、いわゆる「神様」のイメージとは遠いなあ、と感じる人も少なくないはず。

自分も多数の日本人と同じく、特定の宗教を持っているわけではありません。

食事の前には手を合わせ、お盆にはお墓参りをし、受験前には神社で御守を買ったり、厄年だといえばお祓いをしてもらったりする。そういう「生活様式」としての信仰が、けっこう古代ギリシャの神々の信仰には近いのかもしれません。

もともとは神話や故事に基づく風習だったりしたものが現代の生活にアレンジされる形で残ってゆく。ギリシャ神話に新しいストーリーや解釈が重ね塗りされてゆくのにもよく似ています。

 

また古代ギリシャでは「働くことは貧しいもののすること」という価値観もあったとか。現代社会では決して認められませんが、労働は奴隷が行うもので一般市民は余暇を活かして遊んだり議論を重ねたりしました。古代ギリシャで哲学が花開いたのはそういう歴史もあります。

 

ロボットに仕事が奪われるなら遊んで暮らせばいい、と某氏が発言したのが話題になってましたが、現代の我々が暮らす価値観は根源的にはいずれ古代ギリシャに通ず、なのかもしれません。

 

なんだかんだで、古代ギリシャは「生きる」ということを考えさせてくれる魅力がある。かつてそんなことを思っていたのを、本書が思い出させてくれました。

藤村シシンさんの動向、今後もチェックしていきたいと思います。

藤村シシンに関連する22件のまとめ - Togetterまとめ

 

自分の場合はギリシャ神話に興味を持ったあと、最初に読んだ本はたしかこれ。

 

ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

 

 

きっかけになった聖闘士星矢、別作者のスピンオフ作品みたいなのはどうも苦手だったのですが、「冥王神話」シリーズは車田先生によるオフィシャル続編。このシリーズにもギリシャの神々がたくさん出てきます。神話と比較して読むと面白いかも。

 

聖闘士星矢NEXT DIMENSION冥王神話 1 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)

聖闘士星矢NEXT DIMENSION冥王神話 1 (少年チャンピオン・コミックスエクストラ)

 

 

と、こんな記事を書きながら昔の写真を整理していたら、出てきました。

およそ15年前に行った卒業旅行、ギリシャの写真が。これは別の記事にしてみたいと思います。

旧宮之城線・薩摩大口駅跡を訪ねてみた。

宮之城線、というローカル線をご存知でしょうか。

 

宮之城線 - Wikipedia

宮之城線(みやのじょうせん)は、かつて鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)の川内駅から同県大口市(現・伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた、日本国有鉄道国鉄)の鉄道路線地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化を約3ヵ月後に控えた1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止となった。

 

現在は、九州新幹線のほか鹿児島本線肥薩おれんじ鉄道が乗り入れている川内駅ですが、かつてこの駅を発着していたもうひとつのローカル線です。

昭和62年に無くなったので、走っている姿を覚えている人は少なくとも30代後半以上でしょうね。

自分も、オレンジ色の車体がなんとなく記憶にある程度です。という話をすると必ず先輩方からは「もっと昔はSL(蒸気機関車)が走ってたんだ」と言われますが。

 

川内駅に拠点を構えるローカル放送局として、ときどきこの宮之城線を取材対象とすることがあるのですが、川内駅に近い側(薩摩川内市側)ばかり扱っていたので正直なところ反対側(現在の伊佐市側)はよくわかっていませんでした。

 

伊佐市を通る機会があったので、そんなことを考えていたらこんな石碑を発見。

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終点の薩摩大口駅からひとつ手前、羽月駅の跡地は公園になっていました。

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宮之城線はまったく痕跡が残っていない駅跡もあるので、線路、表示板、写真、踏切まであって公園整備もされているというのは貴重。

こうなってくると、終点の薩摩大口駅跡を見ないわけにはいきません。

Google先生に教えてもらいながら、それらしい場所を目指します。

 

薩摩大口駅跡に建っていたのは・・・こんな建物。

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「大口ふれあいセンター」というそうです。多目的ホールや調理実習室、トレーニングジムなどもある複合施設。関係ないですがこういう公共施設のジムってお得に利用できるケースが多いですよね。この施設も2時間200円と激安!

文化施設 ::: 教育・文化・スポーツ ::: 鹿児島県伊佐市

・・・と、トレーニングをしに来たわけでもありませんでした。

 

この施設の4階が、「伊佐市大口歴史民俗鉄道資料館」になっています。

歴史や民俗に関する展示もありますが、「鉄道」の部分は旧薩摩大口駅関連のものがたくさん。思いつきで行ったので閉館時間ギリギリだったにも関わらず、係の方に丁寧に説明して頂きました。

 

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ポイント切替器。いきなりマニアックです。

※ 写真撮影OKいただいています。

 

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「川内行」の文字も。ここから川内に行ってたんですねえ、と思ってたら「海水浴専用 阿久根行」の文字。

宮之城線は薩摩大口ー川内のあいだの路線です。阿久根にも行ってたんですか?とお聞きしてみました。

旧薩摩大口駅があった大口市(現在の伊佐市)には海がありません。

かつて大口の子どもたちが海水浴に行くというのは一大イベントでした。そのため旧国鉄が夏の間だけ阿久根で海水浴が楽しめるように臨時の直通列車を出していたんだとか。きっとたくさんの笑顔を運んだに違いありません。

 

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展示物がたくさん。

 

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この表示板は実際に使われていたもの。

ここであれっ、と思いました。ひとつ隣の駅であるはずの、さっき通ってきた「羽月駅」の表示が無い。

薩摩大口駅は、宮之城線の終点駅であると同時に水俣と栗野(現在の湧水町)を結ぶ山野線の駅でもありました。「郡山八幡」「西菱刈」はいずれも山野線の駅名です。

山野線 - Wikipedia

 

山野線が廃線となったのは1988年2月1日で、宮之城線の廃線は1987年1月10日。宮之城線のほうがおよそ1年早く無くなっていたんですね。なので、この表示板は「にしひしかり」の下に「はつき」と書かれていたものをペンキで塗って隠し、1年ほど使われていた、ということのようです。写真でも、よーく見るとうっすら「はつき」の文字が。見えるかな。

 

鉄道があると必ずその沿線の人の暮らしがあります。

 

これまで宮之城線を取材する中でお聞きしたことですが、

「山太郎がに(モクズガニ)をカゴいっぱいに積んで売りに行っていた」

「竹を切り出して宮之城線で運び、川内から東北に運ばれて養殖用のイカダに使われた」

などなど、どれもドキュメンタリーになりそうな話がたくさんあります。

 

現在では一級河川川内川の治水に大きな役割を担っている鶴田ダムの建設にもこの宮之城線は大きく寄与しています。

鶴田ダム - Wikipedia

 

薩摩川内の駅でも宮之城線沿線に入来や樋脇など温泉地が多いのですが、ダム建設に関わる作業員の方々で温泉が賑わってきた歴史もあるようでした。

 

鉄道が無くなることで、人の営みの記録や記憶も消えてしまうことがなければいいなあ、と思ったプチ旅。

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大口ふれあいセンターの前には、鉄道公園もあってこちらには車両も置かれています。

 

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もう動くことのない運転席だったと思われる場所。いまも駅跡を見つめています。

 

 

 

工場見学に行ったらSCARのライフルに出会いました。

近くにこのほど部品加工の工場が開所することになり、工場見学の機会をいただいたのでお邪魔してきました。

これまでいくつかの工場を見せていただく機会があったのですが、モノが作られていく現場ってなんかワクワクしますね。

高校も大学も文系で、キャリアとしてもサービス業しか経験していない自分にとっては全く馴染みの無いマシンが並んでいます。

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こんな機械で金属を削っています。


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実際に削るのはこの部分。依頼主からの発注に基づき、どんな寸法でどんな形状のものか、という設計図的なものを(という説明で合ってるのかどうかもちょっと怪しい)このマシンに入力するとガシガシ削ってくれるのだそうです。一台ン千万クラスのマシン。できるやつ。

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で、当然削りカスが出ます。
マジで金属削ってるのね、って妙に削りカスにテンションが上がりました。

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工場の奥にはこんなレトロな感じの機械も。
「現役ですか?」とお聞きしたらもちろん、との回答。
小ロットのものや試作にはこういった機械のほうが向いてることもあるそうです。
地元の高校を取材したとき、工業系の学科の実習で使われているのを見たのと同様の機械だと思います(たぶん)。その高校からも、この工場にはたくさん入社されています。見学にお邪魔した時も別室では研修が行われていました。
 
「学校で習ったことがそのまま仕事に活かせる」ってすごくいい。
 
3Dプリンタなど「ものづくり」はすごくデジタルな世界になってるイメージがありますが、人の手で操作するこういう機械を扱う技術っていうのはずっと必要なのかもしれません。
 
機械が削って出来上がり、ではなく検査室でひとつひとつ検品してから出荷してるそうです。
 
様々な形状の部品を作られている工場ですが、現在は医療関係の機器に使われる部品などの発注も多いとのこと。そんな中、工場見学に来た人々を迎えていたのは・・・ライフル。
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もちろんモデルガンです。
 
プラスチック部品もありますが、アウターバレルの部分などに金属部品が使われています。これが重厚感やリアリティに。あのマシンでこういう部品も作れちゃうんですね。ちょっと欲しい。
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詳しくお聞きしませんでしたけど写真あらためて見たらたぶん「SCAR−L CQC」だと思います。リンク自粛。
 
こういう工場見学などにお邪魔すると、あらゆるものについて「どこでどんな人やマシンがどうやって作ってるのか」ということが気になります。
 
いまこの記事を書いてるMacBookをはじめとするアップル製品は、中国などアジア諸国の国々で作られた部品が多いとか。
ちょっと古い記事ですが、以下の記事によると日本は139の拠点でAppleに供給する部品を作っています。

weekly.ascii.jp

サプライヤーリストに掲載された工場の立地地域をみたら、わが街の名前もありました。

 

アナタがいま持ってるそのスマホの部品は、実は同級生のお父さんあたりが作ってるかもしれません。ということですね。

 

また機会があれば工場見学行ってみたいと思います。

 

【2016年熊本地震】臨時災害放送局について

被災地では臨時災害放送局の開設についての動きはありますでしょうか。
臨時災害放送局は自治体からの簡易な手続きで開設できるラジオ局です。

 

開設を希望する場合、「自治体から総務省への免許申請」が必要です。

 

設備がない場合、総務省九州総合通信局では設備機器の貸与制度も用意されています。

 

詳細な制度、手続は以下

総務省|災害対策支援|災害対策支援

 

現地の状況として必要であれば弊社も設備協力、技術支援など致しますのでいつでもお声がけください。

 

(2016.4.29追記)

現在、熊本県内では以下の4つの臨時災害放送局が開設されています。

 

くまもとさいがいエフエム(熊本市・熊本シティエフエムが支援)

総務省|九州総合通信局|臨時災害放送局の開設について −平成28年熊本地震にかかる災害情報提供を目的に熊本市が開設−

 

こうささいがいエフエム(甲佐町

総務省|九州総合通信局|臨時災害放送局の開設について −甲佐町が平成28年熊本地震にかかる災害情報提供を目的に開設−

 

みふねさいがいエフエム(御船町)

総務省|九州総合通信局|臨時災害放送局の開設について −御船町が平成28年熊本地震にかかる災害情報提供を目的に開設−

 

ましきさいがいエフエム(益城町

総務省|九州総合通信局|臨時災害放送局の開設について −益城町が平成28年熊本地震にかかる災害情報提供を目的に開設−

 

地域の音を記録に残してゆくということ

先日、鹿児島の伝統楽器「天吹(てんぷく)」の記事を書いてみた。

鹿児島の伝統楽器・天吹(てんぷく)を作ってきた - ローカルメディアマンの日常。

 

こういう伝統楽器は、有形の資産のようでそうじゃない。

モノとしての楽器は残ったとしても、演奏者が居なくなれば音が残らないからだ。もちろん録音や録画という方法はあるが、音楽というのは本来再現芸術である。演奏者がいて、演奏される機会や伝承される様式がなければ楽器が存在しているとは言い難い。

 

さて、人口が確実に減少していく中で、無くなってゆくことが確実な「音」がある。

 

わが地元でも、2005年時点で102,500人ほどだった人口が2016年3月1日現在で97,519人。(薩摩川内市ウェブサイトより)

10年ちょっとで5%程度の減少。世代別では全国の例と同じく少子化・高齢化が進んでいる。

こどもが少なくなると小中学校が統廃合されるのはやむを得ない。学校には最低限必要な機能というのがある。それらを維持するコストが見合わなくなってくるからだ。

わが母校の小学校も、ほか4校の小学校と統合されたあと、中学校といっしょになって小中一貫の「義務教育学校」と呼ばれるものになるそうだ。

 

別の小学校の閉校事業を取材する中で、校歌を録音して残しておきましょう、という話になった。母校が無くなるということは、校歌が無くなるということなのだなあと思った。

 

現在閉校の対象となっているのはどれも創設から100年以上経っているような伝統校ばかりである。途中で作り替えたところもあったかもしれないが、どの校歌も少なくとも数千人、もしかすると数万人のこどもたちが歌い続けてきた音であることは間違いない。その親も、祖父母も、という例も少なくないはずだ。

 

歌い継がれていくことは難しいかもしれないが、せめて録音を残しておこう。

そう思って閉校が決まっている学校の校歌録音の準備を進めている。

 

どう使うかはともかく、残しておくことが大事。まずはそのように思っているが、こどもたちが番組に出演してくれた際などには結構な割合で「CDになりませんか」と尋ねられる。校歌もCDにして欲しいという声が必ず出てくるだろう。

 

ハードルになるのは著作権。市民歌などであれば著作権ごと自治体が買い取っているケースもあるが、校歌となるとほとんどそういうわけにいかない。作詞者・作曲者が著名な方の場合は音楽著作権管理団体に預託してある場合もある(そしてそのほうが手続きが確実にできるのでスムーズである)が、地元の方が作られていたりするとなかなかそういったものばかりではない。JASRACの作品データベースでは、自分の地元のものはほとんど発見できなかった。

そうすると直接権利者またはその権利を相続された方に許諾を得るということになるのだが、これが難しい。著作権保護期間は現行法では著作者の死後50年ということになっている。およそ100年前に作られたとして、保護期間が切れているものもあるだろうがそもそも没年がはっきりしなかったり、相続された方の所在が不明だったりする。

 

このへんの課題には調査を進めつつじっくり取り組むしかないのだけど、もしうちの地元の校歌の作詞者・作曲者およびそのご家族などをご存知の方がいらっしゃったらぜひご一報いただきたい。

 

ローカルメディアのひとつの役割として、こういったアーカイブ性があるのではないかと思っている。郷土史などは地域の図書館に収蔵されていることが多い。音声や映像も同様のアーカイブがあるべきであるし、実際図書館でもそういった事業に取り組まれているところも少なくない。

いまや個々人が録音、録画機器を持っている時代であるし、それらの果たす機能は大きいとも思う。しかしそれだけではなく検索性と蓄積性、一定のクオリティをもったアーカイブというのは地域メディアが担うべきではないか。という気がしてきている。

 

全国で300局に迫ろうとしているコミュニティ放送局

なんらかの録音設備は各局持っているはずだし、ぜひ各地の音のアーカイブに取り組まれては、と思う。そして校歌の録音や著作権手続きなどのノウハウはぜひ共有できないものか。場合によってはアーカイブ目的の場合の著作権法の特例制度など、政策提言までできれば。そんなことを考えている。

 

昨日取材でうかがった場所は閉校から40年近く経った元小学校のグラウンド。

少年サッカーチームの練習場所になっていて、いまもこどもたちの元気な声が響いていた。


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